2006年11月の日記 | 人妻ナツコの、ろすとばあじん物語

2006年11月の日記

月読が気を遣ってくらしている。
とても不憫で、心配でたまらない。


昨日、また夫と言い争った。
つわりでぐったりと動けないのに
友達と飲みに行く、と言われ悲しくなってしまったのだ。

それで、大声でわめいてしまった。


「お前がそんなふうに泣いたり大声だしたりするから
 月読がこんなふうになったんだ。
 子どもの前で絶対泣くな」


と夫に言われた。

その間も月読は必死にはしゃぎ、言い合いをとめようとし、
「泣かないで」「ケンカしないで」と仲裁し、
それでもケンカが終わらないのを見て
「たのしく、たのしく、たのしくね」とつぶやきながら
ひとり遊びをはじめた。
それを見て、夫が泣き出した。






夫は毎日飲んできて、帰りは遅いし
休日だって一日中飲んでいて、家事も育児も手伝わない。
逃げ場はどこにもない。
それでも毎晩、月読の寝顔を見ては
「なんて可愛いんだろう。
 この子がいれば、何でもできる」
と思って、自分では頑張っていたつもりだった。
それも、ぎりぎりのところでだ。



そこへ「お前のせいだ」と言われて、
それが当たっていることに胸をつかれて、
いまだにうまく笑えない。



わたしはずっとずっと不安定な気持ちで子育てしている。
リラックスした日など、皆無といっていいと思う。
そんな母親に育てられてきたんだと今更かんがえる。

不安定の原因は夫だ。
だけど、そこに責任をおしつけて泣いていたらだめなんだ・・・


もっともっと強くならなくちゃいけない。
自分をコントロールできるように。


とはいえ、その夜は泣き続けた。
自分が月読に与える影響のショックと、
自分のおかれた状況のさみしさとで。
さらに、夫は2時すぎても帰ってこず
友達が泊まることになって、
「なんでつわりの時に・・・」と悲しさはまし、
「頭をこぶしで叩く」という昔からの発作のような自傷行為が出てしまった。
これがはじまると、とめられない。
殴り続けながら泣くのだ。

月読は起きて、そういうわたしを見た。
抱きしめると笑って眼をつぶる、
けれどまた泣き声がもれたとき

「ごめんね」


と言ったのだ。
おそらく反射的に。




明日も、一ヶ月後も、一年後も、
わたしは夫といる限り不安定さを抱えていく。
そこで、月読をのびのび育てられるか、
いまは自信がない。


わたしにできること、すべきことは、楽しい雰囲気で暮らすことだ。
ちっとも楽しくないのに。


今日なんか、わたしの暴言に怒った夫に
どつかれたりけられたりしたのを月読に見られた。



苦しい。